日本の天皇とその家族、長崎の原爆犠牲者を悼む 悲劇から80年
長崎:日本の天皇である徳仁殿下は、妻と娘を伴い、第二次世界大戦で最も被害の大きかった場所を巡り、日本が原爆投下から80周年を迎えた金曜日、長崎の原爆犠牲者に哀悼の意を表した。
長崎の平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑で、徳仁天皇と妻の雅子皇后、娘の愛子内親王は深々と頭を下げ、白い花束を捧げた。
米国は1945年8月9日午前11時2分、南西部の長崎にプルトニウム爆弾を投下し、その年の末までに7万人以上が死亡した。この攻撃は、米国が広島にウラン爆弾を投下し、広島を破壊し、14万人が死亡したわずか3日後のことだった。日本は8月15日に降伏を宣言し、第二次世界大戦と、アジアにおける日本の約半世紀にわたる侵略を終結させた。
徳仁天皇は、戦争の悲劇を忘れず、若い世代に伝え続けることの重要性を繰り返し強調してきた。
第二次世界大戦終結80周年を記念して、天皇は今年、硫黄島、沖縄、広島など、最も血なまぐさい戦闘や爆撃が行われた場所を訪問した。
7月には、天皇と雅子さまはモンゴルを訪問し、過酷な環境で収容された何千人もの第二次世界大戦の日本人捕虜を慰霊した。これは、祖父である裕仁天皇の名において戦われた戦争の悲劇に対する償いと追悼の努力の一環である。
天皇夫妻は長崎原爆資料館を訪れ、展示品を見学し、被爆者と面会する予定だった。土曜日には、徳仁一家はさらに多くの被爆者に会うため、特別養護老人ホームを訪問する予定である。
菊の御座に即位して以来、徳仁天皇にとって初めてであり、愛子さまにとっても初めての長崎訪問は、今年のお二人の祈りと慰霊の旅を締めくくるものであった。天皇ご夫妻と愛子さまは窓を下ろし、沿道の声援に手を振られた。
夕方には、数千人の長崎市民が皇室のホテルから見えるビルの屋上に提灯を掲げ、天皇ご夫妻と愛子さまを歓迎する予定だった。
「天皇陛下が今年、80周年記念行幸啓の一環として長崎を訪問されたことを嬉しく思います。少なくなった被爆者との交流を通して、被爆者の(平和への)メッセージが世界に発信されることを願っています」
長崎市民の高瀬義則さん(64歳)は、めったにない機会に参加するためにランタンイベントに来たという。家族が訪れるのは今回が初めてで、その雰囲気を味わうために来たという。
平均年齢が86歳を超える被爆者の多くは、数十年にわたる草の根の核兵器廃絶運動にもかかわらず、近年高まる核の脅威に不満を表明している。
4月、ご夫妻は硫黄島を訪問され、1945年2月19日から3月26日まで戦われた硫黄島の戦いで戦死された約2万人の日本人と約7千人の米海兵隊員に哀悼の意を表された。
6月、天皇は沖縄を訪問し、沖縄戦で戦死した約18万8千人の日本人(その半数は沖縄の民間人)と約1万2千人のアメリカ人を追悼した。愛子さまはご両親に同行され、沖縄の人々の苦難を学び、若い世代に伝えてほしいという徳仁天皇の願いを強調された。
AP







