クレーンゲーム、日本のアーケードを征服

東京:学校や仕事が終わると、東京のゲームセンターには大勢の人が押し寄せる–格闘ゲームで戦うためではなく、ぬいぐるみを手に入れるために。
池袋にあるゲームセンターの一角には、見渡す限りクレーンゲームが並んでいる。
ゲームセンター業界の至宝であるクレーンゲームは、ビルの1階と2階を占め、ビデオゲームは地下と上階に追いやられている。
「クレーンゲームがこの業界を支えている」と語るのは、業界の専門家で元ゲームセンター店長の鴫原守弘氏だ。
「ゲーセン経営者、遊技機メーカー、そして景品業者までもが、このビジネスに依存している」とAFPに語った。
日本アミューズメント産業協会によれば、1989年に日本にあった22,000のゲームセンターの約80%が閉鎖されたが、クレーンマシーンのおかげで収益は持ちこたえているという。
日本アミューズメント産業協会によれば、1993年以降、ゲーム機の売上比率は20%から60%以上に上昇したという。
20歳の学生、野木鈴菜さんは、1回100円で3000円(19ドル)もする「大きなぬいぐるみ」を求めて、少なくとも週に2回はこれらのゲームセンターを訪れる。
成功の保証はないけれど、「私が一番好きなのは達成感」と彼女は言う。
野木さんは、「何かをつかめるかどうかわからないスリルが楽しい」と付け加えた。
クレーンの感度は、オペレーターが「景品のコストと収益目標に基づいて」調整すると鴫原は言う。
「近くのゲームセンターと競争するために、ゲームを簡単にすることもある」という。
タバコからお菓子へ
この建設用クレーンをモチーフにしたゲームが日本で発売されてから今年で60周年を迎える。
しかし、実は第二次世界大戦前から存在していたと、日本の中央大学でこのテーマについて博士論文を書いたブノワ・ボトス氏は言う。
カフェやボーリング場に設置された古い機種では、ライターやタバコが提供されることもあったが、それらの景品はすぐに子供用のお菓子に取って代わられた。
1980年代後半になると、ゲーム会社のセガが1985年に発明した「UFOキャッチャー」を筆頭に、この機械は人気を集め始めた。
「昔のものはちょっと暗かった。そこで、目の前に景品が見えるような、ショーケースのような明るいスタイルを選んだのです」とセガ幹部の笹谷隆司氏は語る。
しかし、本当の天才的な一撃は「クレーンゲームの中にぬいぐるみを入れたこと」だとボトス氏は言う。
セガやバンダイのようなビデオゲームと玩具の両方を手がける製造大手は、アニメや漫画のキャラクターのライセンス交渉を開始し、セガは特にディズニーの権利を獲得した。
「自動販売機とチャンスゲームとスキルゲームの中間のようなもの」とボトス氏は言う。
変身
クレーンゲームの成功は、日本のファン文化である “お祭り “ブームも後押ししている。
ファンのアイデンティティを主張する一環として、キャラクターグッズを集めることもある。
「ポケモンが大好きなので、ぬいぐるみやグッズをよく探しに来ます」と、プロポケモンカードプレイヤーの倉崎晃さんは、大好きなキャラクターをあしらったネイルを見せてくれた。
ゲームセンターの経営者たちはこの熱意を汲み取り、近隣の人口統計に合わせて景品を選んだり、特定のキャラクターをテーマにしたイベントを企画したりしている。
「毎日のように新しい景品が登場します」とセガ幹部の笹谷氏は言う。
クレーンマシーンの覇権は、都市部の繁華街が徐々に変貌していくのと密接に関係している。
1970年代と1980年代には、暗くて男性が支配的で犯罪につながる場所と見られていたアーケードが、女性や家族連れといった「新しい客層を惹きつけようとした」とボトス氏は言う。
「クレーンゲームはその変貌を象徴しています」
AFP






